経過観察に病院。
やはり体重が減少している。
この頃には、担当医が夢に出て「ああ、また減ってる」とため息をつく夢にうなされもした。
謎の構造物は、ついに医師から「腫瘍」と呼ばれるようになる。
一番まずいのが、腎臓に近づいて行っていること。
腎臓の管や機能そのものを飲み込んで、腎臓不全になる方が大変だぞと。
遂に細胞診が出来るので依頼する。
早くしないと12月になってしまう。検査機関も、病院も、年を越してしまう。
それは避けないと。ギリギリのタイミングでの検査依頼。
何かがあることは散歩友達にも、何かわからないから困る。心配である と話していた。
彼女たちも都度「わかった?」「琥珀ちゃんどお?」とことあるごとに気にしてくれていた。
どうすればよかったのだろう。
後に、この決断は腫瘍専門医に「仕方がないよ。間違っていない」となぐさめられることになるのだが。
この病院に決めたのは、健康なうちに爪切りで5つぐらいの病院を回り、院長先生に「病院は気になることがあればいつでもきて、何もなかったで帰るのが一番だから、顔見せだけでも来てくださいね」と優しくいってもらったからかかりつけにしてきた。
その中で出会ったI医師は、話をよく聞いてくれ、説明をきちんとしてくれ、質問も根気よく聞いてくれ、いい話も悪い話も優しく話してくれるので信頼してきた一人なのだ。
11月中頃。
検査結果が届く。
「腎細胞がんの疑い」
その検査結果の書かれた紙を見つめていたのは数十秒だったと思うけど、永遠かと思うぐらい長い時間に感じた。
腎細胞がんは予後が悪い。
転移してたら切れない。
抗がん剤も効きにくい。
調べすぎると悪い予感に飲み込まれそうだったから、調べすぎないようにしていたけれど、検索でひっかかってきたワードの一つだった。
I医師からも、10月後半あたりからもしかしたら・・と出てきたワード。
腎細胞がんになった子の最後の話も聞く。
肺に転移して、胸水が溜まって、最期は窒息死する。
積極的な治療にするか、緩和ケアにするか。
話を聞けば聞くほど、積極的な治療法がないことを思い知らされる。
転移してなかったら切れる。転移してなかったら高度動物医療センターへの紹介状を書いてもらえる。
すがれる望みはそれだけで、エコーの結果から、肺転移が怪しいけれど、まだグレーゾーンだから どうしますか と尋ねられて、躊躇なく、紹介状と年内の予約をお願いした。
この頃、夫は仕事の都合で家を離れていた。
琥珀に何かが起こっていることは伝えていたけれど、離れている分、夫は私以上に楽観視。
現実味がないことはわかっていた。切れば治るんでしょ?
この数か月、毎日やきもきしてきたことを彼は知らないし、わからないと思う。
腎細胞がんだったらの先にあるチャートもよくわかっていない。
結果は腎細胞がんだったこと。紹介状をもお願いしたこと。次の予約日だけを文字で伝えた。
こまごまとした症状とか病状とか先の話を言葉にして伝えるのは辛すぎて。
夫は腎細胞がんを調べ、絶望し、震えたらしい。
こちとら、琥珀に知られてなるものか と癌かもしれないと思い始めた時から、彼女の前では一回も泣いていないのだから。
震えて、泣けるっていいよねーなどと、冷えた頭で思ってしまう自分がおりました。
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